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アート・文化

一枚板、獲得。

3ヶ月もああでもないこうでもないとやっていた
食卓にする一枚板が
私がキラリっ!と煌めいた栗の木に決まった。
先約の優先権があったようだけど
それを押しのけて、、という気持ちは全然なかったものの、あれ以上のものは出ないだろうなーという
押さえがたい気持ちはあった。
それを強く言ったつもりもないけど
言葉の端々に、アレが最高だということを
言ってはいる。
これは、自分の趣味というか、鑑識眼を
はっきり表明したいだけ。。とも言える。
しかし、元々他の人に優先権があったので
手元に来なくても当然。。という諦めの気持ちはあった。
 
それが来ることになったので
物事は収まるべきところに収まる。。。
などというような気持ちになって
ニンマリとしている。
ニンマリは正しくないかもしれない。
本当は幸せ~~~な気分なのだ。
それに合わせて、材木屋さんの
その木に対しての気持ちを書いたメールも
しみじみとさせてくれるのだった。
本人に許可を得ないで
載せちゃいます^^
 
●●●
あの栗板を見つけた時にすぐに買い付けました
私としては高いとはぜんぜん思いませんでした
すぐに売れなくてもめずらしいものとして
店に展示しておけばいい位の気持ちでした

最初の半月は毎日のように眺めてました
お客さんの一人がたまたま材料を探しにきた時に
いいもんだと言ってくれました。うれしかったです
でも予算が合わず栃板をお買い上げいただきました

その時思いました。やはり使っていただいて
材料も生きるんだよなと思いなおしました


●●●
なんとなく、素朴で木に対して愛情を持って仕事をしてる
という雰囲気が出てて、好きだな~~。
ついでに商売との兼ね合いの心の中の葛藤みたいのも
垣間見れてウンウンという気持ちにもなる。
毎日見てて飽きない木。。。ってことを考えてみることって
あまりないかもしれない。
木は人間よりも寿命が長いので
年輪を見てると、穏やかになれるものや、力をもらえるようなものや
はたまたイライラさせられるものやら、
短い時間では出来ない、複雑なものがある。
そういうものの中で自分と相性のよいものというか
自分が今欲しい雰囲気のものがあると
それによって力づけられたり、癒されたりするものなのだ。
木は地面から生えてる時は勿論生きてるんだけど
切り倒されてもやはりまだまだ生きている。
そういうことを考えると
ただの家具、道具と言うよりは、もっとありがた~いものなのだ。
古い長老に来ていただくような気持ちなんだ。
嬉しいな~~~。

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